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出し惜しみ
2008/05/13(Tue)
微笑みが一つしかなくても、愛する人達にそれをあげなさい。
家で不機嫌にしてないで、街に出て全然知らない人に微笑みかけるのよ。
                                   **M・アンジェルー**



いつもおじゃまさせて頂いている、大好きなジーニーさんのサイトでの
先週の私の星の予報。

今しなくてはならないのは、出来ないことを探すことではない。
出来ることをしっかりと認識することである。それによってあなたの周りの世界は
確実に変わってゆくはずなので、これ以上の 出し惜しみ をしないように。
あなたの内面にある愛は、引き出して表現することによって
初めて生きてくるのだから、そろそろ思い切って行動にうつしてみよう。
(後略)・・・


出し惜しみ。
出し惜しみったら、出し惜しみ。

妙にこの言葉が心に残り-

そうだな。
確かに自分は、常に100㌫の思いを行動に移しちゃあいないのかもな・・と
改めて思い知らされた、何気のないこの一言。

人さまに親切を施そうとて
「迷惑じゃあなかろうか」 と、余計なことを思ったり
「これぐらいでもう、十分だろう」 なんて途中で引き上げてしまったり。

ほんの小さなことに対してだけれども、お礼を申し上げようとて
「後でいっか」 と、思い立ったその時になさないために
思わず機を逃してしまって 「ま、いっか」 と流されてしまったり。

とにもかくにも、出し惜しみ人生まっしぐら。 [←演歌の曲名にも なりゃせんて (。-`ω-)ン ]

この小さな日常の積み重ねの中で
その時々に満㌫、精一杯の自分を込めて生きてみようか。
そろそろ怖がらずに、スッポーンと飛び立ちてみようか。

もったえないぜよ、たった一度のこの人生。

新たな決意を胸に秘め、再出発を繰り返すこのワタクシなのであります。


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自尊心
2008/02/17(Sun)
最近ちびこが連発する言葉。

「ママが優しくなった。毎日優しくなった。ずっと優しくなった」

あまりに外に翻弄されまくり
「人間っなんてララーラーラララララーラー♪(`o´) 」 な時に
いつも決まって思うことは、何故だか知らんが
「私が悪い (ごめんなさい付)」

何事かが起こるたんびに、ことあるごとに自分を責め続けてきた私。

ここのとこ ∞しずく∞事件簿続きにて、そんなことに改めて気づかされ
今の自分に一番必要なことって一体何なんだろうかな・・・と
心静かに問うてみたところ、出てきた言葉は 《自尊心》。
そして心にほわりと浮かんだこの言葉-

「私は価値ある人間です」

頭が自責と悲の雲に覆われそうになった時には
この言葉を思い出します。

私の全てから喜びが溢れてゆくのを感じ
「これでいいんだ。そのままでいいんだ」 という
なんともいえない安堵感に包まれるのです。

やみくもに、この言葉が特効薬としてスパンと変わったわけではなく
日々の生活の出来事の連動と相まって、何かが動き始めたよな感じ。

自分を大切に思うことによって、確実に周りの見え方が変わってきました。

スピリチュアルって。
大宇宙を掴み取ろうと手探りすることでも
なにがしかの存在とコンタクトを取ることでもなく-
些細と思われる日常の出来事に対して
その時々、満㌫の自分を込められるかどうか。

前世は自分の成り立ちを知る上で、大切なものだとは思うのですが
「前の世にどうだったから、やっぱり今はこうなっちゃってどうなった」 つうよな
つじつま合わせのためのものではなくって
今、どんな思いを抱えて、どのように歩んでいるのかが一番大切で
瞬々自分の全てを投入しながら生きていくことが、精神的に生きるということ
なのではないのかな、なんて思いました。

今 生きているのは自分だし、これから生きてゆくのも自分なのだから。

《自尊心》 から思いはどんどん広がって・・
やっぱり 今 に辿り着いた私です。


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空模様的、心
2007/09/20(Thu)
    8907617.jpg


心ってほんとに、うつろいゆく天気みたいで。

昨日はアッパレ jumee☆DaNcE2 日本晴れだと思ったら、今日はどどんと うす曇り jumee☆Feel Depressed4

なんだか気分が晴れないなぁ、と思いつつ
自分の気持ちをまとめてみました。
思いつくままに、飾ることなく書き連ねてみる。
つらつら・・・つらつらつら・・・つら・・つらつら

わあ・・・出てくる、出てくる。不平不満。 (≡ε≡;) ウゥエ
こんなに溜まっていたんだね。

「あああ、この世の終わりだよ」 なんて軽い自己憐憫に浸りながらも
新たな自分を探している。 モソモソモソと懸命に手探りで探している。

よし、生きてるぞ。がんばれ、私。

そんな風に思いながら、心地よい温度の酒風呂にじっくりつかって
じんわりじんわり毒を出す。

あーーーー、すっきりした。

さっき小言大言を書き連ねた紙を、ビリビリに破ってゴミ箱へポイ。

曇グレーな気持ちは何処へやら~気持ちを新たに、またまた思いのままに
書き綴ってみた。
さらさらさ・・・さらさらさらさ・・・さらさらさら・・・

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

私は、先ほど書き連ねた言葉を全て手放します。
そして、過去に引きずられることなく、新たな自分を
今から創り上げていきます。

私は自立します。
何者にも何事にも囚われることなく。

私は自分を愛で満たします。

春風をありがとう。そして、学びをありがとう。

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

春風とは・・・逆風のこと。
逆風に耐え、極寒の冬を乗り切った樹木はとても強い。
そして無限の愛に溢れ、とても優しい。

命のメッセージカードを引いてみた。

『 手放す 』

きょう、わたしはすべての恐れを神の手にゆだね、心の平安を取り戻す。
神は自分の内にも、周囲のあらゆる場所にもおられる。
そして私の魂にもっとも有益な体験を送ってくださっている。
わたしはけっして独りではない。
困難に直面するたび、神に遣わされた天使が助けてくれるから。
もう何も怖くはい。 人生最良の時は、これからなのだ ------

ドンピシャでした。

今まで、否定的な心の内をはき出すことを、あまりしてこなかった私。
なんだろな・・否定的な言葉を発すると、剛速球で戻ってくるよな気がして。
おまけに、ここで弱音を吐くもんか!的な考えに縛られていたのでしょうか。
ガマンして、ガマンして、ガマンして、ガマンして-そしてバーンアウト・・・

その時その時の自分の感情と、素直に向き合うことの大切さを痛感しました。
それこそ飾らない、等身大の自分なのだから。

今の心は 新たな朝の始まり、朝焼けという感じです。
嗚呼、私の心と秋の空・・・それもまたよし、といたしまして~

たまーのデトックスも必要ですね。 (ll`∀´)ヾ


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気持ち玉
2007/07/23(Mon)
5才の娘が、今、ほーく園で抱えている悩み~

いじわるをする友だちがいるらしいのですが、その友だちに面と向かって
「 ヤだ! 」 と言えないそうなのです。
どんなにヤな思いをさせられても、静かに笑っているか泣くかじっと我慢するかしか
出来ないのだそうです。
しかもその子が 「 しつこくひっつきまわってくる 」 のだと。
ほーく園でのそんな風景は、ごくごくありふれたものですが、
子どもの世界とて、自分で解決する術を学ばなければなりません。

「 いじわるをされると、どう思うのかな? 」 と聞くと
「 遊びたくないと思う。○ちゃんの名前なんか忘れちゃえばいいと思う。
 ほーく園、移ればいいのに 」

「 自分の気持ちを大切にしてごらん。イヤならそう伝えればいいんだよ 」
そう告げると、
「 でも、○ちゃんも優しいとこがあるから。そんなこと言ったら泣いちゃうよ 」
「 言わなきゃいけないときもあるんだよ。言葉にしないと○ちゃんはチビちゃん(娘)が、
 何を思っているのかわかんないよ 」

そんなやり取りの末、シクシクと泣き出してしまいました。
「 パパとママになら言えるけど、他の人には言えないよ 」 と。

しばらくさめざめと気持ちの済むまで泣いて落ち着いた頃に

「 じゃあ、まずはさ、練習してみようか。気持ち玉が溜まっちゃうと、
 病気になっちゃうからね 」

そう伝えに来てくれました。

「 気持ち玉には、いろいろあるんだよ。´おこり玉´とか´かなしみ玉´とか。
 気持ち玉は外に出たがっているんだね 」

そう言って笑う娘。

気持ち玉。

あぁ、なるほど。そうかも知れない。
行き場の無い気持ち玉が溜まりに溜まると、無意識に気持ちを押さえつけようとしたり
あえて何も感じていないフリをして無機質に生きていくことになるのかもしれない。

一連の流れを見ていて、まるで自分を見ているようでした。

私も人に、本当の気持ちを伝えるのが苦手です。
慣れ親しんだ相手でも、「気分を害するのではないか」
何かを言われたとしても
「 私の意見は万能ではない。その意見にも一理あるのかもしれない 」
そのように思って自分の思いを消してしまうため
「 私は今こうして欲しい、ああして欲しい、こうして欲しかった、ほんとはこう思ってる 」
スパンと伝えることがとても苦手です。その結果、裏腹なことを口に出してしまったり
不本意ながらに迎合してしまったり。
言葉が足りなくて、悔しいとか悲しい思いを今まで何度となく繰り返してきました。

あとで思うのです。「 あの時こう言えばよかったな 」 って。
張り裂けそうな思いと共に。

言葉にすることで、災いをもたらす可能性があるならば
はじめから何も言わない方がマシ、と。
何かが起こると恐れる気持ち~幻想なのだと解っていながら。

人それぞれが皆 違う背景に生きてきて、考え方や行動、そして諸々は
全く違くて当たり前だということ。

まずは言葉に出して伝えないことには、何もどうにも変わらない。

本当に自分を大切にする気持ちがあるのなら、
自分の中に湧き起こる感情を相手に臆さずに伝えてみる勇気。

まさに 『 鏡の法則 』 でした。
娘の中に、自分のありのままの姿を映していたようです。
そして娘も・・・

「 ママも気持ちを伝えることが、なかなか出来ないんだ。一緒にこれから練習していこうね 」

娘とそう、約束を交わしました。

一朝一夕には出来ないことだけれど、無意識にまで下りてしまった意識を変えるためには
「意識的な練習」 が必要なようです。


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 最高の癒し
2007/07/12(Thu)
最近、ようやく気づいたことがあります。心底そう思った、というのか。

最高の癒しとは 「自分で自分を100%認めてあげる」
言葉を変えれば 「自分を愛する」 ことなのだと。


過去、母との確執による(と思われる)生き辛さから始まって身体的にも苦痛が
出てきた私は、瞬時に自分が変わることを望んで、いくつもいくつもいくつもいくつも~
それこそ かなりの数にのぼるカウンセリングやらヒーリングやらを受けてきました。

心療内科をはじめ、カウンセラーとの対話、催眠療法いくつか、サウンドエナジー療法、
バッチ、前世療法、何やら怪しいエネルギー整体、遠隔・・・

まだまだありますぞ。 (←何をそんなに自慢げに ゚ ▽゚ ;)
いろんなグッズも買ったな。

津々浦々ヒーリング巡り歩き。 ‥…ステテテテ━━ε= ヘ( `Д´)ノ オウヨッ
とにかく自分に ´魔法をかけて´ もらおうと、必死になってあちこちを彷徨い歩きました。

何がしかのヒーリングを受けた直後は
「わお!なんだか変わったみたいよ、私。 (ノ′∀`*)」 を
少しばかりは実感するのですが、これがどうも長続きしない。
半月経ち、一ヶ月経ち~すると、あららららぁらぁ・・・
シンデレラの魔法が切なく解けてしまうみたいに、結局は元に戻ってしまうのです。
ここ15年ほどは、ずっとそんなことを繰り返してきました。

んでもって、ここんとこのワタクシ。ちょっとした心境の変化を伴いまして
「外界は心の内の表われ」 を軸に
とことん自分の内側を覗いてみる & じっくり自分と対話をしてみること数ヶ月。

自分の気持ちを全く無視して、外からの評価ばかりに気を取られていたことが判明。
人の気持ちに沿うことが出来ないから、苦しいことこの上ない。
そりゃ当たり前だよ。自分の気持ちをおざなりにしているんだもの。
「人の気持ち」 なんて、それだって自分勝手な仮想の世界。
頭では解っているのよ、でも腹の底には落ちていず。てな感じだったのですね。
さまざまな気づきもチラホラ見えて参りました。

そこからは、とにかく自分の気持ちを大切にすることに専念。意識的に。
そして、過去の辛い出来事を、自分にとって良い方向に捉え直す作業を
ひたすらに繰り返しました。 (← ユーリさん ご助言の下)

結果、確実に自分が変わったことを実感しています。

・ 例の 怖コワ反応 がほとんどナリを潜めたこと
・ いろんな場面において自分を容認することが出来るようになったこと
・ 他人サマの言動がさほど気にならなくなったこと

そして、一番変わったと思われることは 「完璧主義」 ではなくなったこと。
過去からの強い思い込みなんかも、自然に剥がれ落ちてきたような気もします。

過去の私は、自分のする一挙一動に対して
「ンナんじゃ、いかんよ、自分!」 と、心の中で常に叱責を入れており
目に付くところと言えば、人の視線と自分自身のふがいなさ。
自分をよく見つめているのかと思いきや、見ている視点がズレていた。
常に誤った 「~ねばならない完璧像」 を求めて、頑張っていたのでしょう。

そんな私が今、「いいじゃないか、それでも、自分。」 と温かな目で
自分をいたわることが出来るようになった。
自分にとっては最大の変化です。
それに伴って、周りの風景も穏やかなものに変わってきた・・・

ヒーリングやグッズや本などは、単なる気づきのきっかけでしかなく
そこから先は、自分で自分を見つめることでしか成し得ないことなのだ。
100%を他人に委ねて、全てが癒されることはあり得ない。
まずは自分自身の内なる声を聴くことから~
長きにわたる自身の体験から、そう強く実感しました。

そして、七転八倒していた自分も、巡り歩きをしていた自分も
今の自分を創り上げるための大切な一部であるということも。

『 自分を認めてあげること 』

それこそが最高の癒し。
自分も大いなるもの、宇宙の一部なのである。
自分はもとより、全てを、流れを信頼して生きてゆく。
腑に落として、それに基づいて行動を起こさないことには何も変わらない。
ゆっくりでもいい。戻ってしまったら、そこから気持ちを新たに歩き出せばよい。

行ったり来たりを繰り返しながら、着実に世界は広がってゆくのだと
そんな風に思うのです。
♪(´∀)ノ━( ・ω)ノ☆*☆*☆(´Д)ノ━(・∀)ノ━♪


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 物事の捉え方
2007/06/30(Sat)
ここ数日、な~んか微妙な変化があったよな気がします。

今までずっと自分の心の中で、葛藤していたあることの意味が
突然に、「 ああ。それってこういうことだったのねん~ 」 と
初めて違った視点から眺められるようになった、とそんな感覚。

「 へぇえー。そういう考え方もあったんだ。」 と、我ながらに
これはちぃとした驚きでありました。

ぶっちゃけお話しいたしますと
今まで様々な場面においてことあるごとに、人がコワい、ああコワいと
感じていた自分について。

怖コワ反応が、自分の意志とは関係なしに蘇ってしまうたびに
「 あぁあ、またか。何でだろ…。頭ではここまで解っているのに。 」 と
激しい自己嫌悪と闘っていた私。

でもって、自分がコワいと感じる人々のタイプをざざざっと挙げてみました。
威圧的な人、態度が冷たいと感じる人、攻撃的な人、などなど。

うむうむ。なるほど。そうですか、私。

でもでも。ハッと突然、そんなこと以前に、あるひとつの盲点に気づいたのです。


『 私がその人のことを深く知らない、もしくはその人は私のことをよく知らない 』


人は未知のモノを怖がる習性があるってもんじゃあないか。
「 そりゃそうだよ。それは当たり前の防衛反応だったんだよ。」 と。
えぇえ、こんな単純な答えだったの???

世の中には、出会ってすぐ打ち解ける方も中にはいらっしゃるとは思うのですが
自分はそういうタイプなのではない~ただただそれだけのことなのだと
いまさらながらに判明しました。

仕事やらお子ちゃま関連で、ニガテだとは思っていても表面上は浅くとも
そのとき付き合わなくてはいけない人はいるワケで。
(あ。自分自身の交友関係については一切そのよな無理はしてないのですが。
~少数精鋭派にて)

多分、古馴染みの友が同じ態度を取ったとて
自分は「ふーん」とか「またか」 、もしくはヽ(@`⌒´)ノムキィ 位で
さらりと受け流せるのではないだろうかと思い、馴染みの人物に
仮想現場にご登場いただいて、シュミレーションしこましてみました。

うんうん。絶対そうみたい。

知らない人に威圧されたと感じるときに
「 なにかされるんじゃないか -ヒ- 」 と思って心が萎縮してしまうのは
人間の本能に近い部分では、ごくごく自然な反応なんではなかろうか。
決して特別なことではなく。
ギャートルズの原始時代、どでかいマンモスに追いかけられたら
迷わずビュンと逃げるのと同じで。 (や、ちょっと違うと思うぞ ;´∀`)

そんな結論に達しました。
自分にその結論を問うてみたところ、ものすごくしっくりとくる感があるのです。

長年染み付いてきた体の怖コワ反応は、そうそう簡単には取れないものですが
その反応が起きたときに
「 あ。また起きてるけれども、これはしょうがないことだ。当たり前だよ、自分。 」
と、その反応を冷静に見つめている自分がいることに気づきました。

これが ´ありのままの自分を受け入れる´ ということなのでしょうか。

とっても心がラクになりました。重ぼったい枷が外れたみたいに。

ひょっとしたら、私が立てた仮説はトンチンカンチンなのかもしれませんが
それで自分が落ち着いたのだから、ええじゃあないか。
それでよしとすることにしよう、私。 ヽ(゚∀゚ )ノ
・・・ということにいたしまして。

起こる出来事に対する見方は自由。
ならば、肯定的に捉え続けていってみる。

『 < 』 ←こんな感じで、はじめの変化はごくごく小さなものだけれども
積み重ねによって得られる変化たるや、最終的にはものすごいものに
なっていくんじゃなかろうか・・・

そしてちょっとしたコツさえ掴めれば、人生思いのままに渡っていけるんじゃないか。

そんな嬉しい予感を含んだ、嬉しい変化なのでした♪


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 ぶっちゃけ☆自分史
2007/05/10(Thu)
私には、長年に渡って染み付いている習慣があります。

「 人が怖い 」

もうここまで来ると、条件反射としか言いようがありません。
パブロフの犬、状態。 (^・ェ・^) バウ

きっつい性格の人や、ちょっとでも否定的な態度を取られたりすると
途端に顔を出す、やっかいなクセ。
おびえまくって、心も体も萎縮してしまいます。

子供の頃、自分の母親はとても怖い存在だと認識していました。

全てにダメ出しされる、何も出来ないくせに~と ことあるごとに言われる、
甘えようとヒザに乗るとスッパンと払いのけられる、突然怒鳴られる、
乗馬のムチでひっぱたかれる、包丁を持って追いかけられる、
金槌で殴られる、眉間に皺を寄せてひたすら睨まれる。。。
(よくまあ、こんなに並べたもんだ (- .-)ゞ)

なので、私はいつも母親の目を気にしていました。
そして子供の私は、強く心に誓ったのだと思います。

「 自分を抑えて いい子でいよう。そうすればお母さんに愛してもらえる。
 お母さんに認められなければ意味がない。 」 って。

当然の如く、その歪みは大人になるにつれて出始めました。
「 なんだか生きづらいなぁ [ウグググ 酸欠] 」 と感じ始め、
心の安泰を求めて、スピ道を歩み始めました。

大勢の中で遊んでいても、いつも 「 自分は独りだ 」 と感じていた自分。
思っていることを表すことが出来ず、ぐぐっと中に溜め込み続ける自分。
広い家の中は、家族ばらばらで、会話のない冷たい場所。
そんな家になんて帰りたくありませんでした。

もう、あれからエエカン (伊豆弁?かなりの、という意) 時間も経ってますが
まだ反応してしまう自分がいます。

私がこんなに苦しいのは、全て母のせいだ。
ずっとずっと、そう思い続けてきました。

しかし、数々の苦しい思い出を紐解くにあたり
「 一番孤独を感じているのは母なのだ。さぞかし辛かったでしょうよ。」
ということが解ってきました。

【 ここから 母、回想録 】
病気がちな母、家庭を顧みず遊び呆けている父、兄弟は男ばかり、
しかも嫁いだ先にはスーパーバンタム級チャムピオンのツオーイ姑だよ。
おまけに自分は商人アキンドの長男の嫁だし。 ( ̄- ̄=)あぁ…

ため息も出ますわな。。。
おそらく、生家でもほっと一息つくことなんて出来ず
嫁いだ先でもいろいろあって、とにかく自分のことで精一杯。
しかし世間サマには良い嫁でいなけりゃならぬ …
それが渡世人のつれぇトコロよ・・・てな感じで
それでも母なりに、3人も子供を抱えて頑張ってくれたのだと思います。

ちなみに私の父はとても優しい人です。
寡黙な父を、母は 「 頼りない 」と感じていたのかもしれません。

母は、その状況下にいて、子供を育てる時にそうするしかなかったのだろう、
とも思うのです。
私がもし、母と同じ状況にいたら、きっと潰れまくっていたに違いない。
下手すれば、今生きているかどうかも分からないぞ。。。
そう思えた瞬間、あれほど嫌悪感を抱いていた母を愛おしく思えたのです。
母も、傷ついていたのだと。

しかしながら、思うに。。。私のこの人怖病の根源は、ここにあるようです。
その当時、私の目に映っていた母を、今いる似たようなタイプの人と
重ね合わせてしまうという。
単なる投影であるとは解っているものの、体が勝手に反応してしまうようで。
(あ。奥底では、自分で選択して反応しているのでしょうね)
´ねばならない信奉´な 完璧主義なる性格も、
きっとここから来ているのかもしれません。

かつて私は、何か上手くいかないことがあると
「 私はAC (アダルトチルドレン) だから 」 と、その出来事によく逃避していました。

でも、その出来事さえも、長~い目で見て、私には必要だったのだと思うのです。

「 自分を表現することは素晴らしいこと。逆を以って学べ 」

きっとそんな風にカリキュラムを組んだのでしょう。
この人生を生きるにあたって、生まれる前に組んだ設計の中で。

『 自分を愛する。ありのままでいいんだよ。自分は完璧なのだから 』

今、この言葉の大切さを心からかみしめています。

「 そのままの自分でいい 」  どれほど、この言葉に救われたことか。。。

その当時の私は、かなり疑心暗鬼な状態で、心がかなりすさんでいたので
刺々しい風景を、外側に見ていたのかもしれません。
足りないところばかりを数え上げ、全てを拒絶していた自分。
その当時の自分には、視点を変える事など出来ませんでした。

しかし、あの出来事があったからこそ、今の私がいる。
あの時は、あれで精一杯。それでよかったんだ、と。
今なら自信を持って言えます。

私は今、とっても幸せです。
家庭は ´お気楽極楽 心のパラライス´~ 平々凡々ながら安泰そのもので
嫁いだ先も、これまた今どき珍しいほど良いト~コ、一度はおいで~♪な感じで
義母もダンナの兄姉もとっても優しい人たちばかり。

『 奥底に眠っている観念を書き換える 』

ここまで解っているのに、何で反応するのかなもし。 もお、ええわい。

ドラクエのようなロールプレイングゲームって、次に進むためには
何かを探し当てたり、ドコかに行かなくっちゃならない。
その一つが欠けても、次に進めないってことかい?
それは一体、何ナンだ? ん? 教えてたも~れ。

んならば、あと一歩!
この染み付いた反応を昇華させるべく、日々、がむばっている私なのです。

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